イアン・マキューアン「贖罪」読了。
最初、この本のペースを掴むのに時間がかかったのだが、100ページを過ぎたころから波長が合い始めた。
ブライオニー、セシーリア、ロビー、それぞれのプロットが見事だし、ロビーがセシーリア、セシーリアがロビーを「 fate 」だと目覚め、愛を表現するマキューアンの官能さ、しなやかさ、力強さには、目眩がした。少しの間、動悸が止まらなかった。本当に、美しい文体なんだと思う、英語で読めたら、どんなに幸せだろう。
そして後半、何よりもロンドンなのだ。
クラプハム・コモン、ストックウェル、バラム、プリムローズヒル、ブルームズベリー、ランベス、ウェストミンスター、セント・ジェームズ・パーク、ブリクストン、ウォータルー・ブリッジ、リージェント・パーク…、ロンドンのあらゆる場所の名が、目に飛び込んでくる。
私は、それだけで胸が締め付けられる。傍らにあるロンドンA to Z を開き、それぞれの場所を懐かしんだ。あれ?バラム駅?バラムってどこだろう?内容を考えるとサウス・ロンドンっぽいのだが、そのエリアはZone1-2くらいしか覚えていないんだよなぁ〜。
悶々としながら「バラムはどこ?」と調べると、ノーザン・ライン、トゥーティング・ベク(Tooting Bec)駅隣りにバラム駅(Balham)があった。ロンドンは数年住んだのに、降り立ったことのない駅。今度、ロンドンに行く機会があれば、街並みを見てみたいものだ。
自分が贖うべく罪を背負った彼女ゆえ、小説家となったブライオニーが綴った言葉は、深く印象に残った。
「人間とは、まず第一にひとつの物体であって、たやすく裂けるが修復は難しいのだ。 」
「物事の結果すべてを決める絶好調権力を握った存在、つまり神でもある小説家は、いかにして贖罪を達成できるのだろうか?小説家が訴えかけ、あるいは和解し、あるいは許してもらうことのできるような、より高き人間、より高き存在はない。小説家にとって、自己の外部には何もないのである。なぜなら、小説家とは、想像力のなかでみずからの限界と条件とを設定した人間なのだから。神が贖罪することがありえないのと同様、小説家にも贖罪はありえない。たとえ無神論者の小説家であっても。それは常に不可能な仕事だが、そのことが要でもあるのだ。試みることがすべてなのだ。」
より一層、私はイアン・マキューアンという小説家に、ときめいてしまった。
この作品は、キーラ・ナイトレイとジェームズ・マカヴォイ主演で映画化されているが、当初、キーラは18才のブライオニー役だったのを、ジョー・ライト監督に「セシーリアを演じたい」と訴え、役柄が変更になったらしい。そんなエピソードを聞くと、想像の中のセシーリアは、凛とした美しさ漂うキーラが見えてくる。そしてマカヴォイがどのようにロビー・ターナーを演じたのか?早く作品に触れたいものだ。
最後に、「贖罪」の装丁、これぞアート、惹きこまれずにはいられない。
最初、この本のペースを掴むのに時間がかかったのだが、100ページを過ぎたころから波長が合い始めた。
ブライオニー、セシーリア、ロビー、それぞれのプロットが見事だし、ロビーがセシーリア、セシーリアがロビーを「 fate 」だと目覚め、愛を表現するマキューアンの官能さ、しなやかさ、力強さには、目眩がした。少しの間、動悸が止まらなかった。本当に、美しい文体なんだと思う、英語で読めたら、どんなに幸せだろう。
そして後半、何よりもロンドンなのだ。
クラプハム・コモン、ストックウェル、バラム、プリムローズヒル、ブルームズベリー、ランベス、ウェストミンスター、セント・ジェームズ・パーク、ブリクストン、ウォータルー・ブリッジ、リージェント・パーク…、ロンドンのあらゆる場所の名が、目に飛び込んでくる。
私は、それだけで胸が締め付けられる。傍らにあるロンドンA to Z を開き、それぞれの場所を懐かしんだ。あれ?バラム駅?バラムってどこだろう?内容を考えるとサウス・ロンドンっぽいのだが、そのエリアはZone1-2くらいしか覚えていないんだよなぁ〜。
悶々としながら「バラムはどこ?」と調べると、ノーザン・ライン、トゥーティング・ベク(Tooting Bec)駅隣りにバラム駅(Balham)があった。ロンドンは数年住んだのに、降り立ったことのない駅。今度、ロンドンに行く機会があれば、街並みを見てみたいものだ。
自分が贖うべく罪を背負った彼女ゆえ、小説家となったブライオニーが綴った言葉は、深く印象に残った。
「人間とは、まず第一にひとつの物体であって、たやすく裂けるが修復は難しいのだ。 」
「物事の結果すべてを決める絶好調権力を握った存在、つまり神でもある小説家は、いかにして贖罪を達成できるのだろうか?小説家が訴えかけ、あるいは和解し、あるいは許してもらうことのできるような、より高き人間、より高き存在はない。小説家にとって、自己の外部には何もないのである。なぜなら、小説家とは、想像力のなかでみずからの限界と条件とを設定した人間なのだから。神が贖罪することがありえないのと同様、小説家にも贖罪はありえない。たとえ無神論者の小説家であっても。それは常に不可能な仕事だが、そのことが要でもあるのだ。試みることがすべてなのだ。」
より一層、私はイアン・マキューアンという小説家に、ときめいてしまった。
この作品は、キーラ・ナイトレイとジェームズ・マカヴォイ主演で映画化されているが、当初、キーラは18才のブライオニー役だったのを、ジョー・ライト監督に「セシーリアを演じたい」と訴え、役柄が変更になったらしい。そんなエピソードを聞くと、想像の中のセシーリアは、凛とした美しさ漂うキーラが見えてくる。そしてマカヴォイがどのようにロビー・ターナーを演じたのか?早く作品に触れたいものだ。
最後に、「贖罪」の装丁、これぞアート、惹きこまれずにはいられない。
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